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「鳥取」はあなたがお暮しの地名に置き換えてください。大きく「生き生き日本人」でも是です。なお、「生き生き鳥取っ子」のイメージが発端でした。

[命]を大切に、日々、非生活習慣病を志向した生活を重ね、一方、[夢]を育み、エネルギーを枯渇することなく、[創造]し、達成可能な方法論を展開し、[挑戦]を重ね、私生活・仕事を含めて、多種多様な「表現」をし、[感動]を維持・増幅していきたい(行きたい・生きたい)と願います。

[感動]は、個人、仲間などと共にの両面があります。個人では、青空、樹木の緑、山野草などを愛でての感動があります。仲間と共に感動・・・は、スポーツなど多種多様です。

 平成2年度、鳥取県の社会教育課(当時)が「生き生き鳥取っ子」のイメージとは・・で、予算がついたようで、鳥大の心理学の教授、退職校長などと、医師では小生が参画して5人の委員で論議を重ねました。時には、拙宅にも来てもらい、妻の世話にもなりながら、夜遅くまで語り合った成果が上記のモデル図です。

 

 私事、1990年(平成2年度)に恵まれて、竹下首相時代のふるさと創生基金を活かし、鳥取市は全国一律に提供された1億円に1億円を上乗せし、2億円を基金として、(今からすれば当時)高率の利率を活かした活動費で、第1回鳥取市勤労青年海外研修団が稼働しました。と言っても、当時、中病での仕事で懸命だった小生が上記知ることはありませんでした。

 前年度(平成元年度)から、兼務で、鳥取療育園の園長を拝命しており、8月下旬の日曜日午後、居間でワープロ機に向かっていたのです。真剣・集中の様子を見てか、妻が「何を書いているの?」と。で、日本における施設福祉の時代から、西欧に学び、地域福祉が云々と応えたら、物置を探し始めて、「あった!」と、見せてくれたのが、鳥取市報でした。これに団員募集の記事があったのです。年度当初に40歳未満で、鳥取市在住2年以上の勤労者、職場の長からの推薦状、応募した動機の作文、面接などが条件になっていました。

 当時、既に、教育委医会活動等を含め(世間的には多忙を極めていた)多用な日々でしたが、催行期間は空白!

 10月29日に出国し、ロンドン3泊、デュッセルドルフとアムステルダムに1泊、パリで3泊、復路の機中泊の計9泊10日でした。結果的には、成田空港からの出国前日も伊丹空港至近で前泊・・・。自身、海外は初体験で、憧れていた西欧でした。

 募集定員に満たなかったのでしょう。追加募集であり、期限は間近。妻に、翌、月曜日に鳥取市に聞いて県職員にも応募資格があるか否かを早急に確認してもらうことにしました。結果はOKで、小生は当時 岩宮 緑 院長にお話ししたら「マ、ようやっちょうけん、行ってこいや」と、推薦状を書いていただけました。

 おかげで、既述の通り、シベリアの初飛行を体験したのです。このこともあり、生き生きに(地球・細胞レベルの)「命」、「夢」をお話しし、結果、6つの要素に入りました。その他の4つも意見が多く、まとまったのが、「創造」・「 挑戦」・「表現」・「感動」でした。そして、個を支える土台が「地球・歴史・文化」であり、「地域・学校」に育まれ、「家族・友人」に支えられての個人の生き生きであるとのモデル図です。

 今なお、私自身が大切にしています。

​(2020/1/21 up)

参照[性教育講演会

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